暗殺者の価値観
ギルカタールは砂漠の国だ。 砂漠の国というのは、日中がとにかく暑い。 まあ、空気自体は乾いているので日陰に入っていればそれなりに快適に過ごすことが出来る。 が、それは日陰に入っていればの話であって日陰の一つもないような場所、すなわち砂漠のど真ん中においては適用不可能な暑さ回避方だ。 天候というやつは全ての者に平等なわけで、それが例えギルカタールのプリンセスであろうと、稀代の暗殺者であろうともかわりない。 そんなわけで、砂漠のど真ん中を歩くアイリーンとカーティスはひたすら無言で歩を進めていた。 本当なら朝方に砂漠を突っ切って、その先のオアシスまでたどり着いているはずだったのだが、カーティスの用事に引っかかってこんな時間になってしまったのだ。 という事情が在るにもかかわらず、アイリーンの一歩先をいくカーティスは完全に不機嫌オーラを隠そうともしていなかった。 取引期間早々に「暑いのは嫌い」と宣言しただけあって、その辺はまったく変わりない。 ・・・・ただ、一つだけ変わったところがある。 「ね、カーティス。」 「なんです?」 声は不機嫌そうで、ちらっと振り返る瞳は剣呑な光を隠そうともしない。 でも、アイリーンは怖いとは思わなかった。 最初の頃のように、暑いのに背筋が凍るような寒さを感じることもない。 アイリーンは口元に少しだけ笑みを浮かべて言った。 「最近、速く歩けって言わないのね。」 「・・・・それは貴女が遅く歩けとか言わなくなったからでしょう?」 「まあ、それもあるけど暑くても八つ当たりされなくなったし。」 「してほしいんですか?」 「遠慮します。ただちょっとね。」 ふふふっと笑ってアイリーンは軽い足取りで数歩前にいたカーティスと肩を並べた。 その姿を横目に見て、カーティスはなんとも微妙な表情をする。 言い返そうとして、言い返しそこなったような、微妙な表情を。 たぶん自分でもわかっているのだろう、自分自身の変化に。 そう思いながら、わざと婉曲な言葉をアイリーンは選んだ。 「カーティス=ナイルも不変じゃないのね。」 「不変、ですか。そうですね、僕も驚きました。」 そう言ってカーティスは肩を竦めた。 「僕自身、もう何も変わることなどないと思っていました。僕の中身は出来上がっていて変わる余地もないものだと。」 滑らせたカーティスの視線が、「貴女のせいですよ」と無言で語る。 その視線が妙に色気があって、アイリーンはさらに暑くなったような錯覚を誤魔化すため、わざと渋い顔をした。 「最初は本気で殺されるかと思ったもの。変わってくれてよかったわ。・・・・まあ、雰囲気は今だって大差ないけど。」 「?何を言ってるんですか。貴女を殺したりなんかしませんよ。」 さくっと否定されて、アイリーンは驚いてしまった。 「え?そうなの?だって女の子らしくしたら驚いて殺しちゃうかも、とか言ってたじゃない。」 「は?そんなのを本気にしたんですか?冗談ですよ。だいたい・・・・」 至極不満げな顔でカーティスは言った。 「殺したりしたら、嫌われるじゃないですか。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 (・・・・・えっと・・・・・) ある意味、至極まっとうなご意見・・・・であり、ある意味どう考えてもおかしい意見だ。 (殺したら嫌われるって・・・・) そりゃまあ、かなりの確立で人間は生きていたいと思っているものだし、それを一方的に取り上げられれば嫌うというか憎むだろう。 それにしても。 「・・・・殺して嫌われたくない程度には、好かれてるの?」 どうにも基準が分からないが、アイリーンが口に出すと珍しくカーティスの頬が少し赤くなった。 「もういいでしょう?暑いから余計なことまで言ってしまったじゃないですか。さっさとオアシスまで行きますよ。」 (照れてる・・・・) ということは、あれは結構な愛の言葉だったりするのだろうか。 相変わらず大して音もさせずに砂漠を歩いていくカーティスの後を追いかけながら、アイリーンはため息をついた。 (どう考えても『普通』じゃないんだけど。) そう思いながらも、結局暑くて不機嫌になろうともカーティスを同行者に選んでしまうわけで。 自嘲気味に少しだけ笑って、アイリーンは小走りにカーティスの隣に並ぶ。 そしてその勢いで、カーティスの左手を右手で捕まえた。 「プリンセス?」 「早く行きましょ。これ以上、こんなとこにいたら暑くて溶けちゃうわ。」 「それなら夕方からにしてくれればいいのに・・・・」 不満そうに言いながら、カーティスはアイリーンの手を離さなかった。 それどころか、逆に絡めるように握り直されてくすぐったさにアイリーンは笑う。 「ねえ、カーティス?」 「何です?」 「私、カーティスになら殺されても嫌いにならないかもよ。」 「・・・・ごめんです。貴女を殺す瞬間に興味がないわけではありませんけど、殺してしまった後は貴女は僕のものでは無くなってしまうでしょう?そんな面白くない事、嫌です。」 拗ねたような顔でそう言ったカーティスと、アイリーンは顔を見合わせる。 そしてどちらからともなく、そっと唇を寄せた。 ―― 砂漠のど真ん中、炎天下の空の下、重なった唇は暑さなど吹き飛ばすほど熱かった。 〜 END 〜 |